EMPLOYMENT DESIGN FOR FOUNDERS

最初の採用は人選ではなく、
関係性の設計です。

最初の1人との約束が、就業規則の原型になる。

その関係性が、その後の労務問題の大半を決めます。
社会保険労務士・中小企業診断士の視点から、創業期の採用準備を整理します。

🔗 関係性と制度設計の連鎖 ⚠️ 採用後に起きる現実 📋 整えておくべき労務の原型

STEP 0 ― まず確認すること

採用経路を考える前に——
事業形態で社会保険の前提が変わります

法人か個人事業かという事業形態と、業種・従業員規模によって、社会保険の適用義務は根本から異なります。「雇ったら社会保険に加入する」という理解は、実は不完全です。

法人(株式会社・合同会社等)

強制適用

業種・従業員数を問わず、従業員1人から健康保険・厚生年金の強制適用事業所。代表者・役員も含まれます。

事業主本人も社会保険に加入できる

役員報酬を受ける限り、事業主自身も被保険者になります。個人事業との最大の違いです。

個人事業主

業種・規模で変わる

飲食・宿泊・サービス業等は従来「非適用業種」として任意適用でしたが、2029年10月から5人以上は全業種で強制適用に変わります(新規開業事業所が対象。既存事業所は経過措置あり)。

事業主本人は社会保険に加入できない

従業員が加入義務を負っても、事業主本人は国民健康保険・国民年金のまま。一般的な社会保険(健康保険・厚生年金)への加入は、原則として法人成りによる方法となります。

個人事業所の社会保険適用区分

区分 現在 2029年10月〜
製造・建設・情報通信等(法定17業種)・5人以上 強制適用 変わらず
飲食・宿泊・サービス等(非適用業種)・5人以上 任意適用 強制適用に変わる※
業種問わず5人未満 任意適用 変わらず

※ 2029年10月時点で新規に開業する事業所が対象。施行時点で既に存在している非適用業種の事業所については「当分の間は対象外」とする経過措置が設けられています(年金制度改正法 令和7年法律第74号)。

任意適用の場合、従業員は社会保険に加入できず、国民健康保険・国民年金に自身で加入することになります。任意適用事業所として社会保険に加入することも可能ですが、従業員の半数以上の同意と厚生労働大臣への申請が必要です。なお、法人成りを検討する場合は、社会保険料の増加・役員報酬設計等の税務面への影響もあるため、税理士との相談が必要です。

DECISION MAP

距離が近いほど信頼は得やすく、管理は難しくなる

採用経路の違いは「どこで募集したか」ではなく、誰が連れてくるかが制度設計の複雑さと影響範囲を決めます。

採用経路 紹介者・関係性 信頼確保 労務管理 複雑さ 最大の注意点
① 配偶者・同居親族 家族関係
社長との距離:極めて近い
★★★
最も複雑
労災・雇用保険は原則適用外。税務(専従者給与)は税理士に確認必須
② 知人・元同僚 社長が直接知っている
社長との距離:近い
★★
やや複雑
「仲間だから」が書面化を妨げる。残業を断れない関係性が未払いリスクに
③ 知人からの紹介 社長の知人が連れてくる
採用者本人は社長に初対面
★★
三者関係に注意
合わなかった時に社長自身の人間関係に影響。紹介者への配慮が適切な対処を遅らせる
④ リファラル 採用した従業員が知人を紹介
採用者本人は社長に初対面

職場内関係に注意
合わなかった時に職場内の人間関係に影響。創業期は従業員が少ないほど影響が大きい
⑤ 公募・初対面 完全に新規
社長との距離:最も遠い

比較的シンプル
書面化は進むが試用期間の設計ミスが多い。評価基準・解約事由の事前明示が必須

◎有利 ○標準 △注意 / ③・④は採用者本人が社長に「初対面」という点は同じですが、合わなかった時の影響先が異なります。③は社長の人間関係、④は職場内の関係性に波及します。どの経路でも共通:労働条件通知書の書面交付は法律上の義務です(労基法第15条)。

⚠ 配偶者・同居親族を雇う場合は、保険3種の扱いがすべて異なります

① 労災保険・雇用保険は原則として適用されません

同居の親族は原則「事業主と同視できる者」として扱われ、労災・雇用保険の被保険者になれません。他に従業員がいて、その方と同等の条件で就労していることが客観的に認められる場合のみ、ハローワークの個別判断で認められることがあります。配偶者だけで他に従業員がいない状況では実務上困難です。

② 労災が発生したとき、雇用保険の扱いが問われます

労災給付を受けようとした際に「そもそも労働者として認められているか」という確認が入ります。就労実態の記録がない場合、給付が受けられないリスクがあります。事前に就労実態を明確にして記録を残すことが必要です。

③ 税務上の扱いは税理士に必ず確認してください

青色事業専従者給与として届け出るか、通常の給与として扱うかで、所得税・住民税の計算が根本から変わります。青色専従者として届け出ると配偶者控除が使えなくなる連動もあります。この判断は社労士の業務範囲を超えており、開業時に税理士への相談が必須です。

CHANGING ENVIRONMENT

「創業期だからまだいいか」
その前提が、この10年で変わりました

かつて創業間もない事業者には、ある種の「猶予」がありました。労働条件の書面化が不完全でも当事者間で収まり、行政指導も「次から気をつけて」で終わることが多かった。その前提が三つの変化によって崩れています。

情報の拡散速度

SNS・口コミで即座に可視化される

退職直後の投稿が採用活動に直撃します。「社内の話は外に出ない」という前提は過去のものです。

労働者側の情報収集力

生成AIで残業代・有休を即調べられる

「これは残業代が出るか」を入社前・在職中に調べることが当たり前になりました。

行政の対応姿勢

規模・創業年数を問わない是正指導

未払い残業・36協定違反は1名の会社でも遡及請求・送検の対象になります。

📋 現在議論されていること(参考)

労働基準法の抜本改正(約40年ぶり)が審議されており、労働者保護の強化を含む方向性が2025年1月の研究会報告書で示されました。2026年通常国会への提出は見送られており、2027年以降の施行見通しですが、方向性は動いています。

BEFORE HIRING

採用の「前」に決めること——
後から変えようとすると法的手続きとコストが増える

最初の1人との「約束」が、後続する従業員全員への基準になります。特に以下の3点は、求人活動を始める前の段階で方針を確定させてください。

「求人票に記載した条件が、雇用契約の出発点になる」——固定残業代・賃金体系・労働時間の設計は、採用活動を始める前に確定させてください。採用後に下げようとすると不利益変更の問題が生じます。

下の図解では、決定を後回しにした場合に何が起きるかを因果関係とともに示しています。

COMMON MISCONCEPTIONS

悪意はなくても違法になる——
創業者に多い「思い込み」の構造

労働法違反の多くは悪意から生まれません。「そういうものだと思っていた」という思い込みの積み重ねから生まれます。思い込みに至る背景を知ることで、自分の認識を事前に点検できます。

「知らなかった」は法的には免責になりません。しかし思い込みの構造を知っていれば、自分の認識を事前に点検できます。下の図解で確認してください。

✗ よくある思い込み

「試用期間中は社会保険に入れなくてよい」

○ 正しい理解

雇用関係が発生した時点で加入義務が生じます。試用期間中であっても例外はありません。

✗ よくある思い込み

「アルバイトに残業代は不要」

○ 正しい理解

雇用形態は関係ありません。法定労働時間(1日8時間・週40時間)を超えた部分には25%以上の割増賃金の支払い義務があります。所定労働時間を超えても法定時間内であれば割増義務はありませんが、いずれにせよ通常賃金の支払いは必要です。

✗ よくある思い込み

「36協定は大企業がやるもの」

○ 正しい理解

法定時間を1分でも超える可能性がある場合、従業員数・業種を問わず36協定の締結・届出が必要です。未締結のまま残業させた場合は労基法違反となり、6ヶ月以下の拘禁刑または30万円以下の罰金の対象になります(労基法第119条)。

試用期間中の解雇について:試用期間を設けた場合でも、本採用拒否(解雇)には客観的に合理的な理由と社会通念上の相当性が必要です。「試用期間中なら自由に辞めさせられる」という理解は誤りです。評価基準と解約事由を採用前に明確にしておくことで、判断の根拠を示せる状態をつくることが重要です。

PROCEDURE TIMELINE

採用したら、いつ・何を・どこに届けるか

設計が整ったら、次は手続きです。保険の届出には期限があり、提出先の順番が決まっています。順番を間違えると書類の整合性が取れなくなります。

届出の順番を守る

労働基準監督署 → ハローワークの順序は厳守。ハローワークの手続きには労基署で受け取る控え書類(労働保険番号)が必要なため、逆にすると受理されません。

GビズIDは先に申請する

電子申請(e-Gov)に必要なGビズIDプライムは発行まで約2週間。法人設立直後に申請してください。

パート・アルバイトの社会保険加入判定(補足)

正社員の所定労働時間の3/4以上、かつ所定労働日数の3/4以上を満たす場合は社会保険の加入対象となります。時間と日数の両方の要件を確認してください。

下の図解は正社員・パート別の手続きタイムラインです。入社日を起点に、各届出の期限をカレンダーに書き込む習慣をつけてください。

WORK RULES

就業規則は「10人以上で義務」——
ではなく「最初の1人を迎える前」に骨格を作る

労働基準法第89条は、常時10人以上の従業員を使用する事業場に就業規則の作成・届出を義務づけています。しかし「義務が発生するタイミング」と「作るべきタイミング」は、まったく別の話です。

就業規則がないと使えないもの

懲戒処分・休職・服務規律

就業規則に定めのない懲戒処分は無効になります(最高裁・フジ興産事件 平成15年)。遅刻・無断欠勤・ハラスメント行為に対して注意・減給・解雇という対処をしようとしても、根拠となる規定がなければ機能しません。休職のルールも同様です。最初の従業員が入った時点から、これらの場面は現実に起こりえます。

後から作ると生じる制約

既存従業員への不利益変更問題

後から就業規則を作る際、既存従業員の労働条件を下回る内容は原則として設定できません。新しく入る従業員はその時点の内容が適用されますが、既存の従業員に対しては個別の合意取得か、不利益変更の合理性・周知という厳しい要件を満たす必要があります。「最初の1人との約束」が、後から変えられない基準になるのはこのためです。

10人未満でも、最初の従業員が入る前に就業規則の骨格を整えておくことを推奨します。懲戒・休職・服務規律の規定は、必要になってから作っても間に合いません。

就業規則の適用——新旧従業員で扱いが異なります

対象 就業規則の変更・新設時の扱い リスク
新規採用の従業員 入社時点の就業規則が適用される。合理的な内容で周知されていれば、個別の同意なしに適用 内容の合理性・周知の方法が問われる
既存の従業員 労働条件を下げる変更は原則として個別同意が必要。就業規則の変更のみで行う場合は「合理性+周知」の要件を満たす必要あり(労契法10条) 要件を満たさない変更は将来的に無効になるリスク

「就業規則」という形式にこだわらなくてよい

懲戒処分・服務規律の根拠として必要なのは、「就業規則」という名称の文書そのものではありません。職場のルールを定めた文書が存在し、従業員に周知されていることが実質的な要件です。「服務規程」「社内規程」「雇用条件規則」といった内規の形式でも、内容が合理的で周知されていれば有効に機能します。

まず懲戒・休職・服務のルールを内規として作成し、従業員に周知する。その後、常時10人以上になった段階で労働基準監督署への届出義務が生じますが、その際に内規を就業規則として正式に整備・届出することになります。最初から体裁を意識して作っておくと、このステップがスムーズになります。

具体的な内容・作成時期・変更手続きは、事業の規模・業種・既存の労働条件によって異なります。「いつ・何を・どの順番で整えるか」については、個別にご相談ください。

EMPLOYMENTABILITY

手続きを整えた先にあるもの——
「雇用能力(エンプロイメンタビリティ)」という考え方

社会保険の届出が整い、就業規則の骨格ができた。それは「コンプライアンスの出発点」に立ったということです。しかし手続きが終わることと、人が採れて、続いて、育つ組織になることは、同じではありません。

採用・労働条件・評価・育成・就業ルール——それぞれの設計の積み重ねが、企業が「人を活かす力」を決めます。私はこの力の総体を「企業の雇用能力(エンプロイメンタビリティ)」と考えています。

創業時の手続きは、その長い積み重ねの最初の一歩です。最初の関係性の設計がその後の組織の強さの土台になります。下の図解は、このページで整理した「創業期の設計」がエンプロイメンタビリティの8つの領域とどうつながるかを示しています。

「自分の状況で何から始めるべきか」
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